実社会に即した教育の必要性
田中 章二 氏 田中年金総合研究所代表
聞き手:反町勝夫 株式会社東京リーガルマインド代表取締役
社会保険労務士になられて以来34年間、年金専門の社労士として活躍されてきた田中氏は、現在の社労士試験の内容が実務と乖離していることや、教育現場における年金教育が不徹底であることについて危惧を抱いている。そこで今回、それらの問題点をいかにして対応すればよいのかについて、社会保険労務士を取り巻く状況を踏まえてお話いただいた。
■ 年金専門の社労士の道のり
田中先生は、長年、社会保険労務士(以下、社労士)として年金を取り扱われ、年金研究所も立ち上げられて、第一線でご活躍ですが、立ち上げられた当初は、年金をメインにやっている方はほとんどいなかったようですね。
1974年に社会保険労務士事務所を設立して以来、ずっと年金を専門にやってきまして、今年で34年になりました。おっしゃるように、立ち上げ当時は、年金メインにやっている社労士はいなかったこともあり、年金専門でやっていくのは大変でした。今でこそ、「消えた年金」、「消された年金」と年金が連日のように取り沙汰され、社会の関心も非常に高くなっていますが、ここまでに来る道のりは相当長かったですね。私どもは、10年前から、合法的に社会保険を安くするためのご相談を承るなどのコンサルティング的なこともやっています。
今は、先生のような社労士は引っ張りだこでしょうね。先生は、著書もたくさん出していらっしゃいますが、何冊ほど出されたのでしょうか。
書店に出たものは36冊で、今流通しているものは14冊です。36冊中年金に関するものが8割くらいで、あとは介護保険や社会保険関係です
LECグループでは、社労士試験の受験指導、合格後の就職相談はやっていますが、その後の、田中先生がご担当されているような実務に関してはまだまだ不案内ですから、もっと先生のような方のお話を聴く機会を設けなければと思っています。実務家の方のお話は、受験生に大変刺激になりますから。
合格すればすぐにお客さんがきて軌道に乗るというように、即人生がバラ色になるというように考えている受験生は少なくないように思いますので、実際はこうなんだということを理解するためにも実務家の話を聞くことはよいかと思います。
■ 年金専門の社労士の道のり
社労士は、もちろん独立もできますが、企業内において人事や法務の部門などで大変有効な資格ですので、私どものスクールでも、社労士講座は、社会人に大変人気があります。
法律専門職の中でも、社労士は、結構、年齢層が高い方だと思います。ただ、社労士試験は、科目別合格制度はなく、一定の点数以上で、なおかつ全体で70点くらい取らないと受からないので、比較的合格率が低い(※)。私の事務所、研究所にいる職員でも、嘱託の社労士でも、1回で合格する人はほとんどおりません。なかなか難しい試験ですので、働きながら勉強されている方には厳しいと思います。
社労士の知識とスキルは、どの会社にも必要なものですので、企業に勤めている社会人が取得して、資格をそのまま勤務先の企業で活かせば、煩雑な雇用・保険関係の業務が迅速化し、労働問題に関する労使間のトラブルの防止、早期解決などにも大いに寄与すると思います。また、独立するにしても、年金相談や、雇用環境の悪化に伴い増加する労働関連の相談と、国、個人かかわらず社労士への期待は高いと思います。したがって、試験も、2段階にして、1次を択一式・短答式、2次を論文式・記述式とするなど、もう少し社会人が受かりやすい試験制度にしてもよいように思います。最近では、公認会計士試験に科目別合格制度が導入され、弁理士、不動産鑑定士、中小企業診断士と各資格試験は一斉に2段階〜3段階の試験制度になりました。
(これは昔の話。今は変わっています。その点、滝さん、直してください)。
社労士試験もそのような段階を設けることを検討すべきときがきているのかもしれません。社労士試験では、午前中に選択式試験、午後に択一試験という流れになっています。したがって、午前の選択式試験ができなかった方の中には、そこで帰ってしまう方もかなりいます。
かなりの負担があることがうかがえますね。
試験については、各方面からいろいろとご意見をいただき、検討がなされていることと思いますが、私としては、現行の試験の知識と実務の知識は全く違うということを自らの経験で実感していますので、その点は検討する余地があるかと思います。
それはもう、すべての法律・会計専門職に言えることですね。
私が社労士試験を受験したときは試験スタート後第5回目で、9科目くらい論述式で、原稿用紙みたいなのが1科目3枚くらいあり、「○○について述べよ」といった問題を解きました。また解き方も大変でした。「厚生年金法第何条の第何項に基づいて〜」と法文に基づいて書かなくてはならず、それも普通の口語体で易しい内容で書くとバツでした。法文から始まって、法文に終わるといった試験でしたね。
昔は、どの程度の知識があってどの程度理解しているのかといったことをきっちり問うかたちで、しっかり法律を勉強しないと受からなかったんですよね。本当はそうあるべきなのでしょうが、だんだん受験者が増加し、論述式がままならなくなった。穴埋めで言葉を書く形式になって、ついには、選択式になってしまった
論述ですと、採点する方が相当大変なようです。受験者数が受験者数ですから、やはり採点しやすい方法になってしまうのだと思います。とはいえ、実務に関係する確かな知識を問うべきだと思います。毎年試験問題を見ていますが、今では実務でほとんど使わない昔の内容のものや、実務とは全く関係ないものが散見されます。落とす試験に変わってきているのでしょうが。
■ 教育現場で年金教育を
先生がご指摘のように、現在、試験の知識と実務の知識は違いますし、実務に必要な知識は合格後に自ら勉強するしかない状況です。そこでLECでは、今秋、「年金相談スペシャリスト養成講座」を開講しました。田中先生には講師を務めていただきまして、ありがとうございました。
「年金相談スペシャリスト養成講座」は素晴らしいと思います。これまで、社労士の受験対策講座や開業準備講座はあちこちにありましたが、その次はありませんでした。私どもの事務所は、顧問先に金融機関が非常に多いのですが、年金相談員が不足していることもあり、私はかねてからこういった講座があればと思っていました。それが今回LECさんで実現し、さらに私が講師を務めさせていただくということで、うれしく思っています。
ありがとうございます。先生は大学などでも教鞭をとられていますね。
年金について、単位とは別に必要な知識として大学生に教えています。私は、将来的に公的年金概論といったひとつの学問として、大学で4単位ほどつけてやった方がよいと思っています。
年金は、全国民が20歳から必ず加入して保険料を支払い、60歳か65歳になれば亡くなるまでお金を受け取るものです。その知識を小、中、高はもとより大学でも何も教えないというのはいかがなものかと思います。
おっしゃる通り、年金は全国民に関わることですし、これだけいろいろと問題になっていることを考えても教育の現場で必修の授業になっていないのはおかしいですね。払わない若者が増えている状況を改善するためにも、しっかりその意味と仕組みを教える機会を設けるべきでしょう。
10年ほど前、アメリカに401Kの視察で行ったときのことですが、小学校の低学年からパソコンを使って、模擬的なものをやっていたのを見てびっくりしました。
教育の現場にも年金教育が当たり前のように入っているのです。それに対して日本は、401Kに関する法律が出来て官報に載って、それでおしまいです。それでは普及しません。やはり、教育が必要だと思います。教えなくて分かる人はいません。
年金以外にも、憲法や民法、選挙権、雇用保険など、生きていく上で必要な基本的知識、最小限度のことを、教育現場でしっかり教える必要がありますね。
大学では、社会に出て使える学問、実学をもう少し力を入れるべきだと思います。
※2008年本試験の合格率は7.5%。
≪ご経歴≫
田中年金総合研究所代表
田中 章二(たなか しょうじ)
1948 年東京生まれ。1974 年田中社会保険労務士事務所を開設。全国の金融機関で、年金相談、確定拠出年金の導入指導、研修ならびに講演の講師として活躍中。田中年金総合研究所所長。年金スクールアカデミー校長。著書に『年金まるわかり・早わかり』(税務研究会出版局)、『年金のすべてが面白いほどわかる本』(中経出版)、『図解国民年金Q&A』(清文社)など多数。