本日はチャールズ先生にアメリカの法学教育の話題を中心としてお話をお聞きしたいと思います。 |
チャールズ
「自らの口から申し上げるのは恐縮ですが、ジョージタウン大学の法学部はアメリカでも高く評価されていると自負しています。また私はアメリカ合衆国の首都であるワシントンDCという特別な都市における法律の教育の仕事に大きな意義を感じております」
さて現在、日本の法学教育は大きな改革の時期を迎えようとしています。アメリカのようなロースクールを設置する構想もいくつかの大学で検討されていますが、アメリカの大学では、1960年代に法曹養成の制度が変革したと聞いております。なぜ、そのような改革が可能になったのでしょうか? |
チャールズ
「それはきわめて興味深い質問です。1960年代にアメリカの法学教育界で起こったことを正直に申し上げますと、ひとつの“トリック”がしかけられ、それが成功した。そう表現できると思います。
第1次世界大戦とその戦後の時期には、すでにアメリカにおいて法律の専門的な教育は大学で実質的なレベルで行われていました。法律の専門家になる勉強に入ろうとする人は、その段階ですでに4年制大学の学士号を取得している人が多かったのです。ところが、当時、その実践的な法学教育を終了して与えられるタイトルは4年制大学の卒業生に与えられる学士号と同じものでした。学生の間には、自然科学や社会科学などの学士号をもっているのに、さらに専門的な法律の勉強をして得られるタイトルが再び学士号では、より高いタイトルの獲得したという達成感を得られない。学生の間に、そういう気分があったのです。私は法律の学位をシカゴ大学で取得しましたが、1960年代に入って、このタイトルの名称を変える作業に関与したのはシカゴ大学でした。当時から、教育の中身としては、実際に法律家として世の中に出るためのトレーニングのために通算で7年くらいの期間をかけていました。最初の4年間で通常の法学士号を取得できて、さらに特殊な分野の研鑽を経ることで得られるタイトルで、それは医学のドクターに匹敵するほどの経験だ。そこで得られるたタイトルを『Doctor
of Law(法律学博士号)』と呼ぼうではないか。そう提唱したのがシカゴ大学だったのです。他の主要大学としては自分たちの大学を卒業した人とシカゴ大学を卒業した人に付与されるタイトルが異なっては困ると、雪崩をうつように追従しました。そのような経緯があったのです」
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