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司法制度改革

ジョセフ・コライアニ

ワシントンを本社とし、米国主要5都市に事務所を持つ
パットン・ボーガス法律事務所役員(パートナー)。専門は知的所有権特許等。



1. アメリカの弁護士事務所のスケール、構成、企業弁護士との役割分担はどうなっているのだろうか。

コライアニ:ここワシントン本社の弁護士数は320人、それに同数の秘書、調査員、事務職員がいる。各地支社をいれると、弁護士とパラリーガル(司法書士に近い)の数は1,000人位になる。これでも米国最大手では決してない。私は法律家としてのスタートは裁判官であって、ここでの最後の職場は連邦行政控訴裁判所の判事であった。実は3人の子供が大学入学年齢になったところ、どうしても判事の給料では月謝を支え切れないという極めて現実的な理由で弁護士に転職した。
 大手法律事務所とは法人だが、株式会社ではなく合名会社(パートナーシップ)という構成を取るものがほとんどだ。
私もそうだが「パートナー」と呼ばれる株式会社の大手株主にあたる何人かがいて、これが理事会を構成し役職を決定し、企業活動から発生する利益のパートナーへの配分を行う。株式会社とはっきり違う点は、パートナーが全員現役の弁護士として活動することで、われわれはプロの法律家と経営者という、通常二足のわらじをはいている(英語では二つの帽子を被っているという)。パートナー以外のヒラの弁護士は、時間、出来高といった算定で給料をもらう。パートナーはそれプラス、企業利益の配分にあずかるというわけだ。



2. アメリカには沢山の弁護士が、企業の社員として日常業務の一貫を果たしているが、法律事務所との社会的な役割分担というものがあるのだろうか。


コライアニ:今、司法省から独禁法違反で訴えられているマイクロソフトという会社がある。会長のビル・ゲイツはアメリカ一の金持ちとして有名だが、実はこの会社を切り盛りしているのは、彼の父親で執行役員であり法務主任の彼の父親だという見方もある。まだ大学生であったビルの開発したパソコン・ソフトに着目し、これが知的商品として伸びるには、法律家との二人三脚が不可欠と読んだのが父親のゲイツ・シニアであり、今日では彼の法規部には3ダース以上の弁護士が働き、新製品を開発する段階から、米国のみか欧州やアジアに輸出した場合に、 行き先での司法制度の中で最大の利益をあげる方程式開発まで組み込まれていると聞いている。 企業弁護士は対外問題専門ではない。社内でも例えば日本企業の米国三菱自動車が最近巨額な補償を「社内セクハラ」でむしられているが、労働争議、給料、補償、セクハラ、人事、株主総会などあらゆる分野が司法制度のもとに対応をせまられ、基本的には企業の利益を最大にすべく、彼ら弁護士がかかる問題を専門に扱っている。プラス彼らは議会が洪水の如くに吐き出す、新しい法律の解釈、企業への影響,対策を研究し、連邦行政府からの規制、取締への対応に相当な時間を投入する。


われわれ弁護士事務所との住みわけはかなり明快だ。マイクロソフトの例で言えば、現在関わっている司法省との法律闘争では独禁法で最強と言われる二つの法律事務所と契約を結び、訴訟ではこれら外部事務所の専門家が同社を代表している。社内弁護士ももちろん参加しているが、彼らは極めて高度な技術分野を担当し、外部の訴訟専門弁護士とスクラムを組んでいる。企業が弁護士を抱える利点はコスト削減である。われわれは企業でも個人でも弁護活動をすれば1時間4〜5百ドル程度を請求するが、 企業が弁護士を年俸でかかえれば、時間あたりの法律作業は格段に安くなる。また、それぞれの企業の抱える問題に習熟することも重要である。ここ10年の趨勢を見ると、ブルー・チップと呼ばれる上場大企業では弁護士社員がそれぞれ増加しており、訴訟にあってもわれわれと企業弁護士との比率では、次第に企業側弁護士数が増大しており、ある意味では法律事務所経営者にとっては、そろそろ警鐘を鳴らす時かもしれない。



3. 企業活動、政府間交渉などで「グローバル化」という表現が氾濫するが、弁護士、法律家、ことに英米のそれが国際部門で抵触する、例えば日米関係では現状は、更には変化があるとすれば、どのような方向へ進んでいるのだろう。


コライアニ:日本にはわれわれに対応するプロがいない。第一、企業に弁護士、もしくは同質の法律専門職員がいない。国際交渉、摩擦、さらには訴訟は慣習を越えて法的枠組みの中で、一定の方程式に副って進められ、皆様には気の毒だが100年以上続く「パックスブリタニカ、パックスアメリカーナ」と呼ばれる、英米の商業、軍事で覇権のもとに世界がいまやスタンダードと認めざるを得なくなっている、 英米司法制度のもとでの、協力、競合、闘争である。幸いなことに使用言語は圧倒的に英語だ。この利点は言い尽くせるものではない。日本政府部内、企業部内に弁護士がいないということはわれわれとの接触、勝負には「外人部隊(国内外における企業または政府機構の外部に存在する法律のプロ)」を雇わねば戦争もできないということではないだろうか。


繰り返すが、この闘争における主要武器は英語と法律技術である。日本の企業がこれを日常内部に要請せずに、どうして米企業と競合できるのか実に不思議だ。貴方の説明では、日本では政府が弁護士の総量規制を行い、年間800人程度の国民にしか、この職につかせないという。800人などは、連邦省庁の一つの司法省の必要とする弁護士の10分の1にも足りないではないか。 われわれ英米の価値観で言えば、弁護士になるということは個人の選択することであり、政府の責任はこれに一定の質的基準を設けることまでであり、「何人しかこの職につけない」などと決める権限は国民の意思や需給関係の決めることだ。今でも政府が総量規制しているのなら、日本が海外で、ことに欧米と戦うときには戦士抜きでやれということか、自殺行為ではないだろうか。

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