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米国特許弁護士 服部健一 |
ギャンブル 再び、デポジションの机につくと、ベルベスコスはしばらく当たり障りのない質問をしていたが、やがてさりげなく問題の書面を山西氏に見せ、攻撃を開始した。 「この書面を見た記憶がありますか?」 山西氏は極度の緊張のあまり、既に額からは大粒の汗が噴出していた。ベルベスコスから問題の書類を見せられたためか、心なしか手は震え、書面も小刻みに動いている。だが、緊張しているのは彼だけではない。ベルベスコスもわれわれも彼がどう答えてくるか固唾を飲んで待っていた。うまく逃げられたら、それこそやぶ蛇だ。 「・・・ええ、あります」 絞り出すような彼の声がかろうじて聞こえた。これだけ緊張しているなら何とかなる、ベルベスコスはそう感じたようだ。 「これは何の書面ですか」 「・・・確かヤマザキ・メディカル社からアメリカの特許弁護士に特許の補正を指示した書面だと思います」 「誰のサインになっていますか?」 「・・・私のサインです」 「つまりこの書面はあなたが作成したものですね」 「・・・そうです・・・」 まるで蚊が鳴くような細い声だ。しかもベルベスコスに視線を合わせようとしない。 ━こいつは核心の質問を聞くギャンブルをする価値はあるな━ ベルベスコスは決心した。 「この英文はすべてタイプしたものですが、『at most 10℃』の間に手書きで『about』が挿入されていますね」 「・・・・・」 山西氏は返答に窮して、下を向いたままだった。 「山西証人、あなたには質問に答える義務があるんですよ!」 「異議あり。証人は考えている。証人を脅かしてはならない!」 シュナイダー弁護士が猛然と異議を唱えた。同時に何かアドバイスをしたいようだ。 「私は証人の義務を伝えたままで、脅かしてはいない!」 ベルベスコスも負けずに反論し、シュナイダーにアドバイスはさせまいと頑張る。巨体を誇る弁護士同志の睨み合いが数秒続き、デポジションルームは重い空気に包まれていた。 「確かに『about』が手書きで挿入されています」 ようやく、山西特許部員が小さな声で答え終わると、ハンカチを取り出して、額から流れ落ちる汗を拭った。 「これはあなたの手書きですか?」 ベルベスコスは尋問を続けたが、いよいよ核心に迫ろうという思いが無意識のうちに出たのであろう、彼の生唾を飲む音が私に聞こえてきた。 「・・・いいえ、違います」 「では、だれの手書きですか?」 山西氏はどう答えたらよいかわからず、シュナイダー弁護士に助けを求めるようにちらっと見た。だが、弁護士は尋問中の証人を助けることはできない。黙ったままだ。 「・・・わかりません」 「まったくわかりませんか?」 「・・・ええ。・・・もう10年近くも前のことですから・・・」 今度はベルベスコスが私をちらっと見た。この証人は本当に記憶がないか、うそをついているのかどちらかだろう。どう攻めたらよいか迷ったようだ。 私は次の質問を小さな紙に書き、ベルベスコスにすばやく渡した。彼はそっと紙を見て納得したようだ。再び山西氏への攻撃を開始した。 「では『about』があることで10℃はどういう意味になりますか」 「・・・さあ・・・。わかりません・・・」 「この書面はあなたが作ったものなんですよ! それでもわからないと言うんですか!」 「異議あり! 証人に対する恐喝だ!」 シュナイダーがデポジションルームに響き渡るような大声で異議を申立てる。 だが、ベルベスコスは異議を無視して山西氏を睨んでいた。彼はベルベスコスの広い肩に圧倒されるかのように下を向いて再び噴出す汗を拭い、おどおどしながら答えた。 「もうこの技術を離れて何年にもなるのでよくわかりません」 シュナイダーが、そうだそう答えればいいんだぞというようにニヤッと笑った。しかし、明らかにうそだとわかる答えだった。一流企業の特許部員が『about』の意味を知らないとは考えられない。どうやらシュナイダーの作戦はどうせ昔のことだから記憶がないと答えて逃げろというものらしい。 「10分間の休憩をしよう」 ベルベスコスが提案した。山西氏はライオンが気を変えて立ち去って命拾いをした獲物のように実にほっとした顔をした。 |
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