弁護団は、高裁がアンデレちゃん側に「母親が知れない」ことを立証することを求めるのは、出生に何の責任もない子どもに「悪魔の証明」を求めるのに等しいと上告理由書で強く非難しました。最高裁では審理が書面中心となっています。ですから、口頭弁論が開始されることがない以上、高裁の判決が支持されます。
1994年9月13日、弁護団の山田由紀子弁護士に「12月16日口頭弁論開始」の連絡が入りました。高裁の判決が何らかの形で見直されることが確実だけれど判決が出るまでは安心できない、そういう気持ちでした。
12月16日の口頭弁論において、私は94年5月に日本が発効した「子どもの権利条約」で、日本も無国籍の子どもが生じることのないよう具体的な措置をとる義務を負うことになったことを強く訴えました。一方、国は「審理は尽くされている、二審判決に誤りはない。アンデレちゃんに日本国籍は付与できない」との書面を提出しただけでした。
1995年1月27日午前10時30分、最高裁判所は判決を言渡しました。 「原判決(高裁判決)を破棄する。被上告人(国)の控訴を棄却する」。
この瞬間にアンデレちゃんの日本国籍が認められました。 最高裁は国籍法2条3号にいう「父母がともに知れないとき」とは、父及び母のいずれもが特定されないときをいい、ある者が父又は母である可能性が高くても、これを特定するに至らないときは、やはり「知れないとき」にあたるとし、国に特定する責任を課しました。 |
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最高裁判決後の法務省の姿勢
最高裁判決後、われわれ弁護団もリースさんも、この判決によりアンデレちゃんと同じような状況におかれた子ども達の国籍取得が容易になると、その第一歩になるだろうと信じていました。しかし、法務省は最高裁判決の中に出ていた「親の特定」を逆手にとって、通達らしきものを出していることが明らかになっています。それは、「国籍事務を取扱う市町村や法務局は、現在不明となっている子どもの母親を何とか特定しようと、母親に関する如何なる書類をも身元確認の材料とするように」というのです。病院のカルテを含め母親に関するあらゆる記録類を探すように指示しており、それでも不明な場合に、はじめて国籍を付与するようにしているようです。
このため、実際には同じような状況におかれている子ども達にとって国籍付与の申請をしても相当時間を要するようになってしまいました。 このことは、日本の法務当局や国家の姿勢が未だに基本的にはあまり変わっていないということを指し示しているのではないか、と思っています。 |