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profile 1967年大阪市立大学法学部卒、アジア経済研究所主任調査研究員を経て、1992年よ り現職。法学博士。「アジアの法と社会」(三省堂)、「ASEAN法:その諸相と展望」(編 著、アジア経済研究所)、「第三世界開発法入門」(編著、アジア経済研究所)などがあ る。 |
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1997年にタイに勃発した金融危機は、瞬く間にインドネシア、韓国、マレーシア
など東・東南アジア諸国に飛び火し、これらアジア諸国は深刻な経済不況に見舞われ
た。それから2年、多くの国で危機はようやく底を脱しつつあり、今年の経済状態は
わずかながら上向きとなっていると伝えられる。 今回の危機の過程で、その原因が各国金融当局の単なる政策の失敗にあったので はなく、むしろその基本的な政治・経済構造そのものの歪みにあることが指摘された 。IMFや世銀の視点は以下のように要約されよう。政策当局や銀行その他の企業の行 動パターンは閉鎖的であり、企業をめぐる情報の開示が十分に行われていない結果、 |
大量に流れ込んだ資金は、生産性の拡大の方向にではなく、土地投機などの非生産的
な不動産部門に流れた。政府当局および企業経営者双方に縁故主義的な意識が強く、
この相互依存的体質が危機への対応を遅らせそれをますます深化させた。結論として
、今回の危機の最大原因は、市場経済の根幹たる経済主体の活動の透明性と説明責任
概念が十分に機能していないことである。 IMFなどの国際金融機関は、危機に対する処方箋として、一方では伝統的な金融引 締め政策を援助条件として各国政府に課し(この政策が危機を拡大したという指摘も ある)、他方では、上記の縁故資本主義的な経済構造の改善をめざして、より抜本的 な法制度の改革を促した。 |
その結果、IMFや世銀さらにはアジア開発銀行の主導によって、多くの諸国で、銀
行制度、競走法、企業法や破産法などの経済関係放棄の改革・制定はもとより司法制
度一般の抜本的な見直しが行われている。これらの企業法制は、現在では情報の開示
と自己責任を重視するアングロ・サクソン(コモンロー)型のシステムが世界標準とも
言うべき地位を占めており、その結果、元来大陸法に属するとされるタイやインドネ
シアを含む諸国においても、これらの法制が大々的に導入されている。 このように見ると、アジアにおいても、これまで法制度の分類として支配的であ った旧宗主国の法を踏襲した大陸法やコモンローという伝統的な分類は商事・取引法 の分野では急速に溶解し、 |
これに替えて上記の原則をより徹底した世界共通の一種の 普遍法が成立しつつあると言うことができるかもしれない。もっとも各国の立法の中 には国際機関や各国政府により雇われたコンサルタント(多くが英米に基礎を置く国 際的ロー・ファーム)が拙速的にドラフトしたものもあり、政府当局者が法の意図や 目的を必ずしも十分に理解していない例もあると言われる。さらに、タイの倒産法の 制定過程に見られるように、改革が国民には国内の倒産企業を外国企業へ投売りする ことを制度化しているように映るところから、ナショナリズムを刺激し、改革立法が 遅れるという事態も生じている。このような状況を見るならば、これらの法が各国に どのように根付いていくのかについてはさらに観察を要しよう。 |
今回の危機は膨大な失業者や貧困問題などの深刻な社会問題を生み出した。80年 代の急速な経済発展と都市化の中でそれまでの伝統社会の中で培われてきた村や親族 によるインフォーマルな互助組織が解体しつつあったにもかかわらず、それに替わる 国家による公的な社会保険制度が無整備状態であったが故に、危機はより深刻であっ た。最も大きな影響を受けたタイ、インドネシアおよび韓国の間で、曲がりなりにも 失業保険制度を有していたのは韓国だけであったと言われる。 諸国では、現在国連や ILOの指導の下で、社会保障制度の確立など公的なセーフティ・ネットの構築が急が れているが、 | この過程で伝統的自治組織・NGOの役割への評価など、先進諸国のそれ とは異なる方向も見られる。この動きはコミュニティの連帯を再活性化しようという 点で社会原理の確認とも言うべき物で、企業法制に見る自己責任と競争軸とする普遍 法の生成に見られる市場原理の徹底とは逆方向を示しているように思われる。後述す るように、このニつの対照的な価値の調整と融合は21世紀世界の最大の課題であるよ うに思われ、この意味でこれらの方向がどこで切り結ぶのかは興味深いところである 。 |
法整備支援という用語が使用され始めたのは比較的新しい。1980年代後半から社
会主義体制諸国が市場経済への移行が本格化するにつれて、その基本的な枠組みであ
る所有権や契約さらには司法制度などの法制度の確立が急務となった。社会主義体制
下においてはこのような意味での法制度は存在しなかったといっていいからである。
ソ連や東欧さらにアジア社会主義国においても、欧米各国政府やIMF、世銀、アジア
開発銀行や東欧の市場経済化の支援を目的として設立された欧州復興開発銀行などの
国際機関が、各国経済の市場化を支える法制度の整備をめざしてさまざまな援助を行
ってきた。 日本では、このような流れとは別に、刑事法・政策の領域では、1962年に設置さ れた「国連アジア極東犯罪防止研修所」が長い歴史を有しており、また、競争政策や 知的財産法制など個別の分野でも関係各省庁を中心に、 |
JICA(国際協力事業団)研修と いうかたちでの援助が実施されたのは、1996年に外務省・JICAが法務省とともに行っ た「ヴェトナム重要政策中枢支援:法整備」事業が最初であろう。その後もこのニつ の機関を中心にヴェトナム、カンボジア、ラオス、中国さらにモンゴルなどを対象と して法整備支援が拡大・強化されている。その方式は、JICAの技術協力のかたちをと っており、日本の民法や刑事法、訴訟法などに対する理解の促進や各国での立法支援 をめざした裁判官や司法職員に対する研修と、各国への専門家派遣とセミナーの開催 などが中心である。同年、法務省の主導により「国際民商事法センター」が民商事法 分野での国際協力のセンターたることをめざして設立され、ここでも研修やシンポジ ウムが行われている。 |
既に見たように1997年のアジア危機に際しては、それまで急速な経済成長をとげ てきた東・東南アジア諸国の経済・社会体制の構造的な問題が明らかとなった。その 透明性と説明責任の欠如という問題は、旧社会主義国ばかりでなく、東・東南アジア 全域に共通するものであることが認識されたのである。その克服のための法制度の確 立をめざして、IMFや世銀を中心に上述のような企業法制を中心とする抜本的な改革支援が行われてい る。日本でも、従来の旧社会主義国を中心とする支援に加えて、国際民商事法センタ ーを中心にこれらのアジア諸国さらにはオーストラリアなど周辺国を交えた国際取引 法や倒産法についてのシンポジウムが開催されている。 |
公正取引委員会も競争政策を
めぐる法的支援を強化しており、通産省とアジア経済研究所も、産業政策支援調査の
一環としてアジア主要国での会社法、倒産法、中小企業法制や競争法制の確立・強化
をめざして現地と日本の専門家による共同セミナーや共同研究などを含む法整備支援
事業が企画されている。 さらに、アジア諸国の法整備支援をめぐる問題は学界でも注目を浴びつつあり、 例えば名古屋大学や九州大学などで各国の留学生受入のための大学院の拡充や情報セ ンターの開設など法整備支援を念頭に置いた制度の改革が行われている。また、法整 備支援は来年の比較法学会の大会シンポジウム・テーマにも取り上げられている。 |
ところで普遍法モデルの導入をめざす欧米政府や国際機関による法整備支援が主 流を占める中で、日本がこれを行う積極的な意味はどこにあるのだろうか。これに対 しては、日本がアジアの中で唯一西欧法の継受とこれによる近代化を達成した唯一の アジアないし非西欧国家であるという答えが一般に用意されている。しかし、それだ けでは十分な答えとはならないであろう。日本がバブル崩壊後10年近く経済・社会の 機能不全に陥っている状況からすれば、100年間で西欧法継受と近代化の歴史に全面 的に成功したとは言い難く、むしろ逆に現在でもこれらアジア諸国と | 同根の問題を抱 えているとも言いうるからである。この状況を直視し、各国が現在直面している問題 について日本がどの程度解決しえたのかまたは解決しえなかったのかについて率直に 各国の専門家と検討し合うこと、そこからお互いが抱えている問題の解決の糸口をつ かむこと、そこに、一方的な普遍的価値の押し付けとなりがちな欧米の異なった日本 が果たしうる独自の貢献があるはずである。日本を含むアジア諸国でこの解決しえな い問題を客観化し普遍化する作業は、以下の意味での社会原理を探求する上でも重要 であると考える。 |
現在世界を席巻しているアングロ・サクソン型の自己責任と競争をモデルとする 至上主義的な普遍法システムは、それが情報技術革命を原動力とする圧倒的なグロー バリゼーションの流れを背景としていることを考えれば、アジアのみならず世界のど の国もそれに抗うことはできない。しかし、人間が具体的な社会や文化の中で生活している以上、 このような市場原理とは異なる人々の生活を支える社会原理とも言うべきものが存在 することも否定できないであろう。 | おそらく21世紀にはこの市場原理と社会原理とも 言うべきニつの異なった価値観の調整ないし融合が大きな課題となろう。今、日本を 含むアジアが抱えているさまざまな問題は社会原理が市場原理と対立・相克している 事態を表現しているのであり、この問題を検討することは、上記のような将来の蛯ォ な課題に対して何らかの知的貢献を果たすと考えられるからである。 |
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