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米国特許弁護士 服部健一 |
日米裁判事情 | ||
私のオフィスにヤマザキ ・メディカル社のすべての書類が段ボール箱で15箱も届いたが、本来は私がすべて目を通さねばならないが、訴訟をいくつも抱えている私にはとてもその時間はない。 | だが、私のオフィスには、私と同じように元日本の特許庁の審査官だった木梨弁護士、岸本弁護士がいる。彼らに加えて黒瀬弁理士にも手伝ってもらうことにした。 |
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ケン・ハットリ:著者:服部健一
ウィルソン:ウィルソン社の社長。ウィルソン社を一代で築き上げた。 デビッド・エムハルト:ウッダード・エムハルト・モリアティ・マクネット法律事務所の弁護士。ウィルソン社長とは長年の親友。 ビンセント・ワグナー:訴訟チームの特許弁護士。かつてウィルソン社のカテーテルに特許侵害はないと鑑定した。 スペロ・ベルベスコス:訴訟チームの主任弁護士 スティーブ・ズレイタス:訴訟チームのサポート弁護士 ストーン・シュナイダー:ヤマザキ・メディカル社の訴訟弁護士 | ||
日本のヤマザキ ・メディカル社がアメリカのインディアナ州にあるウィルソン社製造のカテーテルに特許侵害があるとして、訴訟を起こした。ウィルソン社長は、公私ともに親しい弁護士エムハルトに弁護を依頼。
ワグナー、ベルべスコス、ズレイタスを加えた訴訟チームが結成された。ヤマザキ ・メディカル社が提訴した裁判所はバージニア州東部地区裁判所。通常3年はかかる特許訴訟を10カ月で決着させる裁判所だ。 彼らは、この事件には日本人の特許弁護士がぜひとも必要だということで、ワシントンD.C.にいる私に、チームに入るよう依頼をしてきた。日本企業を相手にした訴訟の信念を持つ私だったが、彼らの熱意に動かされ、アドバイザーとして参加することにした。 ヤマザキ ・メディカル社のカテーテル開発にかかわった5人の研究者のうち、4人は既に退社し、行方不明。私は、日本の興信所を使って彼らの行方を探すことにした。一方ベルべスコスたちは、4人の研究者の居場所は空欄のまま、彼らのデポジション要求のドラフトを裁判所に提出した。ほどなく、4人の勤務先と住所が判明した。私からの報告を聞くと、ベルべスコスは大喜びして、すぐに裁判所に追記書類の提出とヒアリングの要求を出した。 ヒアリング当日、ヤマザキ ・メディカル社の退職した研究者4人のデポジションを要求することになった。当然認められるはずだと主張するベルベスコスだが、ヤマザキ ・メディカル社側の弁護士シュナイダーは4人とも平日は休みが取れずアメリカまで来ることはできないし、日本のデポジションもアメリカ大使館や領事館が土日は休館で、不可能と言い張る。万事休すのベルベスコスたちに私は、3時間半で行けるアメリカを教えた。シュナイダーはしぶしぶ認め、ヒアリングは終了した。 デポジションの準備のため、ズレイタスはスケジュールの作成、私はコートレポーター、通訳の手配を進めていった。さらに、デポジションのためにヤマザキ ・メディカル社の書類にすべて目を通し、重要なものは、翻訳をして、訴訟チーム皆で検討しなければならない。 | ||
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