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2000.vol.2
ワールド トレンド レポート
ロシア
 ロシア株式会社法の歴史

佐藤賢明(糸賀法律事務所ロシアプロジェクト研究員・二松学舎大学講師)


 「法律文化」の99年2号に現在のロシア連邦株式会社法(95年施行)の紹介をおこなった。今回はその続編とし、あまり知られていない1917年ロシア革命以降ソ連邦崩壊までの株式会社法の変遷について述べてみる。
 1917年11月革命時の株式会社数は約二千であった。当時株式会社に関する法律で最も重要なのは1836年ニコライ一世の「株式会社に関する令」であった。この令は、革命の翌年18年夏の大型産業国有化宣言まで効力があった。この宣言により一定の資本金を持つ株式会社は国有化され形式上株式会社は消滅した。ただし、銀行の国有化は革命
直後17年12月に行われた。ところが会社形態としては株式会社は存在していた。国有化された会社の旧所有者は無償で利用され、社長や取締約は国家公務員であると考えられていた。19年3月1日国有化された企業は全て国家予算による企業となり、株式会社はなくなった。
 しかし、このような事態は長く続かなかった。当時のソヴィエト・ロシアは戦時共産時代であり経済が非常に衰弱困窮していた。そこで経済の活性化のため21年からネップ(新経済政策)がとられた。そして株式会社設立が許可されることになった。その政策的な主な目的は外国資本の導入であった。また22年から24年


にかけてソヴィエトの各共和国(ロシアは22年10月、白ロシアは23年3月など)で民法典が採択施行され、一連の株式会社に関する規定が定められた。しかしながらこれでは不充分であった。
 そこで1927年8月17日党中央委員会およびソ連人民委員会議の「株式会社に関する規則」が採択施行された。当該規則はこれから約30年すなわち61年ソ連邦民事法令基本法の採択62年施行まで効力を有していた。
 27年規則によると、株式会社(共同出資会社)とは一定数の同等の割合で分けられた部分(資本、共同出資)からなる定款(基本)資本を有する特別定款
を基に活動する法人であり、その株主(共同出資者)は株式会社の債務に責任を持たず、また株式会社も株主の債務に責任を持たない、と定めている。この規定の内容で重要なのは、“株式会社”の構造を定めた事、そして株主と株式会社との間の“有限責任”を明確にした事である。
 “株式会社”と“共同出資会社”、“株”と“共同出資金”、“株主”と“共同出資者”、“定款資本”と“基本資本”とは同意義の言葉として使われている。また、これはロシア帝国からの伝統であるが、株式会社と有限責任会社の二つの概念は明確に分けてはなかった。現在のロシア


連邦ではそれぞれ株式会社法と有限責任会社法とがある。27年規則では株式会社は経済活動を行う組織に限定していた。これは全ソヴィエト時代に共通である。
 株式会社はその所有形態で国立、混合、私有に分けられていた。正確には出資者の所有形態により分けていた。全ての株が国営企業あるいは国家施設であれば国立株式会社となり国営企業と同等の法的立場となっていた。
 混合株式会社は3種類に分けられていた。(1)国営である設立者の定款資本の持分が半分以下である場合、(2)会社の任命機関において国営である設立者の
代表者の数が半数以下の場合、(3)会社の活動からの配当金の受取割合が半分以下の場合であった。その他の場合が私的株式会社とされていた。
 27年規則では株式会社の設立には3社(者)が必要であった。国立株式会社には中央あるいは地方の行政機関も設立者となることができた。国営企業と国立の株式会社と本質的に違いはなかった。ただし、株式会社のほうが国営企業より経済活動において自由度があったと考える。
 定款には次の項目が必要であった。
 会社の名称、会社の活動対象、設立者の名称およびその国籍、会社の活動


地域(必要な場合)、管理部の所在地、会社の存続期間(必要な場合)、定款資本額と株式の数・額面価格、株の割当手続、株のカテゴリー(優先株など必要に応じて)、予備資本や特別資本とその形成手続、株主の権利、会社の管理機関の設立と活動内容(特に広報機関は株主総会召集のため必要な機関とされていた)、会計報告手続、利益配分手続、会社清算の根拠とその手続等であった。これらの規定は、1836年の令と基本的に差異はなかった。
 1961年12月8日ソ連邦および連邦構成共和国の民事法令基本法が採択され翌62年6月1日より施行された。この基本法
を基に各共和国は自らの民事法典を作っていった(例えば、白ロシアでは64年9月民事法典採択95年1月1日より施行)。これらの民事法典には以前(27年規則)と比較し株式会社に関する規定が少なくなっていた。これらの民事法典では主にコルホーズ、協同組合、消費協同組合などの活動について多くをさいている。同時に以前の株式会社も特別立法でもって存在していた。このような状態が約20年間続いた。
 1988年1月1日より国営社会主義株式企業が発足した。これは企業の中の労働集団や他の国営企業による持株制度である。その目的は労働集団に生産向


上の意欲を与え社会保障的問題解決の一助とすることであった。労働集団の構成員はその勤続年数や労働の水準に応じ株を取得し配当を受け取っていた。1988年10月15日付ソ連邦閣僚会議の企業および組織による有価証券発行に関する決定でもってこのシステムは強化された。
 実際このシステムは生産向上の役に立っていた。この株の額面価格は安く抑えられ、多くの労働者による購入を楽にしていた。また工場を退職した年金生活者に株購入の権利が与えられていた。退職や解雇の場合には、労働者が持っていた株は企業が額面価格で買い上げ
配当金を払っていた。
 90年代にはいり,経済改革が進み、企業が独立採算性と資金自己調達性に移行し、既存の株式会社法では対処できなくなてきた。
そこで1990年6月19日付ソ連邦閣僚会議の株式会社および有限会社並びに有価証券の規則承認に関する決定590が採択された。
 ここで再び株式会社のシステムがよみがえった。
 この規則によると、株式会社とは法人や個人間の合意により、経済活動を目的とした組織である。そして株主は定款資本を構成する出資金を提供し、発行さ


れる同じ額面価格の一定数の株を有し、責任は有限であると規定している。
 ところが、1991年12月ソ連邦は崩壊した。その後ソ連邦を構成していた各共和国は独立し独自の法体系を構成していくこととなった。ロシア連邦では95年、白ロシアでは92年に株式会社法が施行されている。

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