桐蔭横浜大学法学部助教授 笠原毅彦
士業問題の一視点


 「弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とし、広く法律事務を行うことをその職務とするものであって、そのために弁護士法には厳格な資格要件が設けられ、かつ、その職務の誠実適正な遂行のため必要な規律に服すべきものとされるなど諸般 の措置が講ぜられているのであるが、世上にはこのような資格もなく、何らの規律にも服しない者が、みずからの利益のため、みだりに他人の法律事件に介入することを業とするような例もないではなく、これを放置するときは、当事者その他の関係人らの利益を損ね法律生活の公正かつ円滑ないとなみを妨げ、ひいては法律秩序を害することになるので、・・・(弁護士法)七二条はかかる行為を禁圧するために設けられたものである。」 (最判大法廷昭四六・七・一四)


士業の歴史

  公事師、出入師の時代は別として、日本の弁護士制度は代言人制度に始まる。明治五年太政官無号達「司法職務定制」一〇章の「証書人、代書人、代言人職制」に規定されるもので、それぞれ現在の公証人、司法書士、弁護士に相当する。フランスのアボカ、イギリスのバリシター同様、法廷弁護士と位 置付けられる。当時の代言人は、民事訴訟のみ代理することができ、その場合も、訴訟に関する書類は、必ず代書人に代書させなければならなかったという。当時の社会的地位 としては、一〇章所定の順に高かったという。その後、刑事事件には「弁護官」が置かれ、明治一三年の「治罪法」の制定と共に、刑事事件にも代言人を充てるようになる。さらに、明治二三年の民事訴訟法、裁判所構成法の公布に伴い、弁護士と呼ばれるようになる。明治二六年には弁護士法も制定されたが、その活動は、法廷活動に限定されている。
 現在のように、「一般法律事務」に拡大されるのは、四〇年後、昭和八年の 新しい弁護士法の制定まで待たなければならなかった。昭和八年の改正は、弁護士にとって大きなもので、その活動が法廷外に広がっただけでなく、重要なものとしては、弁護士名簿を各地方裁判所から司法省へ移し、その登録手続を所属地方裁判所検事局から弁護士会に移し、弁護士会に法人格を付与することを認め、その弁護士会の監督を検事正から司法大臣に移したことを挙げることができる。弁護士の権限と独立を飛躍的に高めた改正である。
 非弁行為に罰則が付くのは、さらに戦後の昭和二四年、現行弁護士法制定以降のことである。この年の改正で、弁護士は司法庁の監督を離れ、完全な自治を手にする。弁護士の歴史は、その職域の拡大と独立の確保、地位 向上の闘いの歴史ということができよう。
  これに対して、代書人の歴史は、細分化の歴史といえる。司法書士に関して主なものを挙げれば、大正八年、司法代書人法が制定され、現在の司法書士へつながる。さらに、大正一〇年「弁理士法」、昭和二六年「行政書士法」、昭和四三年「社会保険労務士法」が制定された。この傾向は今も続き、利権が絡むためか様々な資格が登場し、国家資格に格上げされ、士業相互の間での境界争いが先鋭化しているように思われる。

司法改革

 一方、司法が本来果たすべき役割の二割しかその役割を果たしていないとして、「二割司法」という揶揄が巷間なされる。この問題は弁護士のみの問題ではなく、三権分立とはいうものの、国の一般 会計の内、司法に割り当てられる予算が、わずか〇.四パーセントしかない点が根本にある。年間二〇〇以上の事件を抱えるという裁判官の過重な負担、完全にその役割を果 たすには、少なすぎる法曹全般の人口の問題があるといえよう。
 その結果が、一つは紛争の事前調整機能を持つ行政権の肥大であり、もう一つが身近な法律家、隣接職種としてのさまざまな士業の成立と、その補完的な役割の拡大である。あるいは、紛争の事後的調整機能としての司法が文化的に国民に馴染まず、事前調整的な行政的手法が好まれたのかもしれない。しかし、社会構造の変化とともに、事後的調整機能としての司法の重要性が、今後ますます増していくことは間違いないであろう。
  ただ、この問題は、司法の予算、裁判所・法曹の数を増やし、裁判所へのアクセスを容易にすることで解決できよう。

改革の基本視点

 より根本的な問題として考えなければならないことは、明治以来の二つの法律家の流れをどう調整するかという点である。フランス法をモデルに作られた代言人と代書人は、前者がアメリカ型のロイヤーとなり、権限を拡大しながらも、圧倒的な量 の不足の前に、後者がこれを補完する者として分裂を繰り返しながら、その権限を縮小してきた。最も、アメリカ型のロイヤーであれば、後者の職域も本来、カバーしているものであり、フランス法にアメリカ法(ないしドイツ法?)を接ぎ木したような形になっている。
 まず解決されなければならない問題は、この二つの類型が維持されるべきかどうかという点である。仮に維持されるべきとすれば、代書人から分裂するように成立し、今なお増えようとしているさまざまな士業をどうすべきかという問題がある。フランス、イギリス式に一つにまとめ二元的な法曹にするのがよいのか、現状維持のままの方がよいのかという問題が残る。
 もし、二元的な体制を否定し、アメリカ式に弁護士のみの体制を作るとしたら、代書人の系譜を持つ多くの士業をどうするのかという問題が残る。完全なあるいは特殊な弁護士として弁護士の中に吸収されるべきなのか、弁護士事務所の法人化を前提に、パラリーガルとしてその中に組み込まれるべきなのかという点である。
 変更することができる予算の問題、現行法の問題、試験レベルないし研修制度の問題等にとらわれることなく、この国の法曹が、国民のためにどうあるべきなのかという視点から、一度根本から議論されるべきではないだろうか。
 公事師・出入師から、近代司法制度を作り上げた明治期の先人の労を考えれば決して不可能ではなく、その後、いびつな展開をしてしまった法制度を見直すよい機会になるのではないだろうか。
 一つだけ提言したいことは、これ以上の士業の増加は、利権の増加と隣接職種間の矛盾と混乱を生むとしか思えないので、やめるべきであると考えている。


PROFILE 笠原毅彦(かさはら たけひこ)

1957年生まれ。1988年慶応義塾大学大学院法学研究科民事法学専攻博士課程単位 取得満期退学。1986年福島女子短期大学秘書科専任講師。1989年常磐学園短期大学専任講師。1990年常磐大学短期大学部専任講師(大学名変更)。1993年桐蔭学園横浜大学法学部法律学科助教授。1997年桐蔭横浜大学法学部法律学科助教授(大学名変更)。