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vol.1
司法試験改革


司法制度改革審議会(仮称)設置へ
 長い間議論されてきた司法制度改革がいよいよ本格的に稼働する模様だ。政府はおそらく、今国会中の3月には「司法制度改革審議会(仮称)」設置法案を提出し、7月には審議を始めたい意向のようだ。
 それでは、今なぜ司法制度改革が必要なのであろうか。
現在、日本の司法制度が抱える問題とは、「社会の紛争解決手段として果たす役割が小さく、立法・行政の監視・抑制機能が不十分であり、市民感覚との間にギャップがある」(日本経済新聞99年1月25日付け)といった指摘からもうかがうことができる。


 もっとも、このような指摘は今に始まったことではない。これまでも、日本では、個人の権利や利益よりは、国家や企業の利益や権利が最優先とされる時代が続いてきたのである。戦後、驚異的な復興を果たし「経済大国」となった高度成長時代においては、「2割司法」と言われた、国民の権利が十分に保護されないといった陰の部分があったことは否めない。確かにバブル崩壊前までは、 行政が事前指導によりさまざまな紛争の種をある一定の水準にまで抑えてきたことで経済成長を遂げたことは事実であろう。しかし、世界的規模の国家間・企業間の競争が激化する中、日本の経済社会も行政の事前指導型から事後監視型へのシステムの移行が求められる。規制緩和という名のもとでの自己責任による大競争時代の到来と言ってもいいだろう。


時代の転換期の中で
 ところで、「事前指導型から事後監視型への移行」を概念上理解することはそう難しいことではない。だが、果たして、どのくらいの日本人がこれに伴う社会の変化を予想し得るのであろうか。
 思えば、日本は他国との紛争もなく平和ではあるが、欧米諸国から科学技術の点で大きく出遅れることになった鎖国の封印を解き、開国後は積極的に先進諸国の文明技術を取り入れることでそれらに追いつき追い越せという国策のもと、
ついには、アジアでの覇権をめぐる争いに世界の大半を敵にまわしたという激動の時代も、敗戦によりいったんは幕を閉じたのである。だが、国土が焦土と化した後50年あまり、海外へ覇権を求めるのでなく、官民一体となり“made in Japan”と刻印された製品で世界を席巻し、国家繁栄のために猛烈に突き進んできたのである。


 確かに、規格のそろった高品質の製品を生み出すためには、連帯責任の集団主義による一体化が大きく貢献してきたのは事実であろう。しかし、地球規模で「人」「モノ」「金」が流動化する時代、企業は存続をかけ、必要とあらば他国の企業との合併や提携を積極的に進め、加えて優秀な人材の確保に躍起となっている。これは、これまでのように能力に関係なく年齢が上がれば賃金の上昇も望めた終身雇用型の時代が終わったことを意味している。 今後は労働市場においても実力主義の時代に突入していくであろう。程度の差こそあれ欧米型の弱肉強食の社会に日本人は否応なく対応せざるを得なくなるのだ。
それでは、これから迎えねばならない大変革を果たしてどのくらいの日本人が実感しているのであろうか?政治家もマスコミも本当に実感しているのだろうか?


 このような時代だからこそ、司法制度を改革するという感覚が求められている。自由競争が加速し激化すれば紛争の増加は予想し得ことである。紛争解決のために、熾烈な競争社会アメリカでの弁護士数が日本の数十倍にも及んでいることも参考になろう。話は変わるが、日本では医師の数が多すぎるといった議論が持ち上がるが、数が多いからこそ、最先端医療を競って研究し明日の医療に貢献する医師と、病気になれば誰もが気軽に診察してもらえる町医者がいて、 市民との良好な関係が成り立っていると言ってもよい。こういう視点からは、市民生活を円滑にかつ快適なものとするために法曹人口の増加といった政策に期待が持たれるのである。弁護士、裁判官、検察官が増加することで、いざ訴訟においても短期間での紛争解決が可能である。また、気軽に相談できるようになれば、法律家でない一般人にとっても法律的な意識は現在よりは高まっていくであろう。


裁判外紛争処理機関
さて、「司法制度」というと裁判制度や法曹養成の問題が議論されがちであるが、表面に出にくい課題として、裁判外の紛争処理機能やシステムがあげられる。
 一般に権利関係を確定するために裁判してまで争いたくないという日本人特有ともいえる感情がある。公の場で白黒はっきりさせるよりも仲介者を立てて、話し合いにより納得させるといった私的解決方法が好まれてきた。この伝統的感情がすぐ変わるとは思えない。今後も多くは心情的、経済的な理由から事前の裁判外による紛争解決を望むであろう。
 一例をあげれば、製造物責任をめぐるPL法に関しての紛争処理の解決方法としては、民間企業が各業界ごとに団体を作り、消費者からの製品の欠陥やクレームに対処するといったこと等、調停機関としての役割を果たしている。このような紛争処理機能・システムが今後もしばらくは重要な調停機関となろう。
 また、町の至るところに法律相談ができる場があれば、裁判にまで進まなくても解決できるような問題がたくさんあるであろう。


司法教育について
最後に指摘しておきたいのは、知人とのトラブルや社会生活で起こる問題等を法律的視点でとらえる思考が日本国民には極端に少ないといったことである。西欧先進国では法律家でなくとも法律的視点の元となる契約の概念を何世代にもわたって信仰してきた宗教により身に付けていくことが知られている。こういった宗教的な伝統の力も大きい。しかし、日本では、契約という考えそのものが、近代化と同時に入ってきたものであり、 伝統的にも宗教的にもそのような思考をもたなかったと言ってもよい。それ故、自動車事故や金銭の貸し借り、商品の売買等についてどの時点でどのような権利義務関係が発生するのかをよく理解していないまま社会に出る人が多いともいえる。一般に、日常生活でジュースやパンを買うのにいちいち権利義務関係を連想する人は日本人ではそういないであろう。


 だが、トラブルに巻き込まれた場合、法律的な思考があれば速やかに解決する問題も多い。例えば、ある人が、ある商品を購入したところ、欠陥がある場合等である。これを法律的にみれば、適正であるはずの商品を金銭を払って交換したわけだから、「代えてくれ」と主張できる権利がある。また、この欠陥商品を作った側にはもちろん責任があるが、それを販売している側にも責任があるし、販売者は商品作成者に代わって商品を交換する義務が生じるのである。通常は商品を交換して終わるが、 万が一販売者が交換を拒否した場合は、買った者は代金の返還を要求できる権利を保持する。さらに金銭返還も販売者が拒否した場合はほとんど詐欺とも言える。普段からこのように法的な思考を持っていれば、問題が生じた場合に事態の権利義務関係について法律家のように正確にではなくともぼんやりとは把握できる。このぼんやりとでも事態の概要がつかめれば、万一の場合の紛争にも自分の権利を損なうことなく解決へと導くことが可能であろう。


体の具合が悪い場合、何の質問もせず、医師の指示だけに従って療養するよりは、疑問点を問い、解決、納得して臨む方が治癒も早いというのはものの道理であろう。自分の体を一番よく知っているのは自分自身だからである。同じように法律問題も一定の法律知識を持っていれば、 どのように相談すればよいかわかり、質問も的確にできるはずである。このような観点からは、司法制度改革は一般国民にとっての司法教育も重要なテーマとなろう。




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