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vol.1


続・カリフォルニア弁護士日記



「裁判官になったボス」
米国カリフォルニア州弁護士
石鍋法律事務所
石鍋賢子
visalaw@ishinabe.com


 先日、私が弁護士になる前、勤めていた法律事務所のボスであるK元弁護士の裁判官任命記念パーティーに出席した。K氏は長年にわたり、サンディエゴ近辺三市の顧問弁護士として活動してきた。この度、州知事により上級裁裁判官に任命されたことを祝福して開かれたものだった。
 記念パーティでのK氏の旧友、市関係者、顧問弁護士会代表者らのスピーチからはK氏の人柄がうかがえるばかりでなく、冗談を交えたエピソードなども聞かれ、
大変懐かしい気持ちでいっぱいになった。
当時、K氏の法律事務所は弁護士2人(相棒は同じく弁護士のK夫人)のパートナーシップという形態だった。さらにもうひとり、個人開業しているP弁護士と3人でオフィスを借りていた。P氏は仕事上専門分野が全く別で、出身法律学校もK夫妻とは別だったが、仕事は別とは言え、開業以来ずっと共同でオフィスを構えていたようだ。ボスのK氏の仕事が中心とは言え、他の2人からも仕事を頼まれたものだった。


 勤めはじめて2年目、K氏の法律事務所で仕事を続けながら、ロースクールに通いたいという相談を持ちかけたとき、K氏は大変驚いていた。長男がまだ3歳になったばかりだったこともあり、そんなの無理に決まっていると内心思ったに違いない。よく考えて結論を出した方がよい、というようなことを重々しい口調で説教されたような記憶がある。賛成してくれるに違いない、と当時単純に考えていた私は、その意外な反応にちょっとがっかりしたのである。 ベトナム戦争の経験をもつ元陸軍将校でもあり、当時も陸軍の予備軍に登録していたK氏は、長期的目標に基づいて、綿密な計画を立てる人で、こればかりは不意をつかれたのかもしれない。しかし、K氏はそこで私を思いとどまらせようとすることはなかった。大変だが、やれると思うならやってみれば、と最終的には賛成してくれた。そんなことがあって、法務秘書2年目にしてK氏のもとでフルタイムの仕事をしながら、ロースクールに通う、という毎日が始まった。


 私が初めてK氏の事務所に来た10年程前、ファクスもまだ普及していなかった。新しいもの好きのK氏がいち早くファクスを購入した後も、書類を送信したい相手が、まだファクスをもっていなかった、ということがしばしばあった。私の「仕事」はテープにディクテーションされた書類を作成することから始まった。書類は市条例の草案や、メモ、スタッフレポート、レターなどであった。訴状作成の仕事もあった。K氏はひとつの書類を仕上げるのに、何度も追加・削除等の修正を加えるという、完璧主義者で、毎日複数のカセットテープを使った。 作業を終えたテープとまだチェックしていないカセットを混ぜないよう、細心の注意を払ったが、それでもある日、緊急事態が発生し、私とボスの間で、あわただしく何度もテープが行き来する間に誤ってまだ聞いていない指示の吹き込まれているテープをうっかり消してしまうというハプニングもあった。
 また、クライアントに書類をモデム送信することもあったが、インターネットのイの字も知られていなかった頃の話だから、便利なようでいて、実は非常に能率が悪かった。そんなことも懐かしく、やや滑稽でもある。


 K氏には大変お世話になった。弁護士になろうという決心をしてからも、ロースクールでの勉強のことばかりでなく、適宜色々なアドバイスを受けたので今日の私があるのもK氏のお陰というべきかも知れない。弁護士としての心構え、仕事に対するアプローチから人生哲学に至るまで、4年間でいろいろなことを教わった。ロースクールに通う間には、先が見えず、悩んだこともあった。まず目標を定め、それに従って少しずつ計画を立ててゆくようにと教えられた。不安でも岐路修正の必要がなければ、 自分で初めからあきらめてしまわずに、自信をもってとにかく予定通りのコースを進めと言われたこともあった。陸軍にいたころ生死の経験もした人だから、K氏の言葉には実感がこもっていた。
 私は訴訟事件を扱わないので、法廷でK氏とばったり、ということにはならないのがちょっぴり残念だ。昔のように、クライアントとのミーティングがないからといって、ポロシャツにコーデュロイパンツで出勤というわけにはいかないかもしれないが、裁判官の黒いローブもきっと似合うに違いない。


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