ス時代の裁判官が多く残っていたそうです。そのため1960年代の半ばまでは保守的で古い体質を引き継いでいました。それに対する批判が起こったのです。当時、世界的な学生の民主化運動がありましたが、ドイツの司法制度改革の中心となったのも、そのような学生運動の指導者たちであり、『ナチス時代にあなたは何をしたか?』と問うたわけです。『私は何もしていない』と答えると、『何もしなかったことが罪悪ではないか』と追及するわけです。その基本的な精神は『過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる』というヴァイツゼッカーの有名な演説に
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あります。ドイツ人として、過去を徹底的に整理して、それに対して責任をもたなければならないという意思です。
1960年代に、日本の裁判所でも同様な動きがありました。しかし、最高裁判所による青年法律家協会所属の裁判官の再任拒否などを契機に状況が変わったのだと思います。
ドイツでは、シュレーダー首相が当時の学生運動の委員長であったように、そういう人たちを社会の建設に取り込んだけれど、日本の場合、すべて排除していった。極左が登場し、あるいは多くの人が転向したのです」
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